苛立ちの正体〜冨耀人〜
絶対に勝ちたい対抗戦シングルス。0-40から粘って30-40まで追い上げた、そのセカンドサーブ。打った球は無慈悲にもネットに突き刺さった。
同じミスを繰り返す自分自身に、苛立ちが込み上げた。それどころか、情けなさすら感じた。自分の思い通りにならないこの苛立ちは、テニスコート上に限らず、勉強でも人間関係でも至るところで現れる感情だと思う。
僕は最近、この苛立ちの正体について深く考えるようになった。
結論、自分に腹が立つのは、「もっとできるはず」という自分の理想像を心のどこかで手放せていないからだと思う。その理想像と現実のプレーの落差に直面したとき、自分には見えないプライドが自分を責め立てる。無意識的に理想を守ろうとして、現実を直視できなくなる。
だから最近は、ミスをした瞬間にあえて「これが今の自分の実力だ」と自分に言い聞かせるようにしている。これは諦めでも開き直りでもなく、現状の自分をありのままに受け入れる「自己肯定感」を持つということだ。そうすると不思議と心に余裕が生まれ、次のポイントへの集中力が増す。今の自分には何ができるかに、自然と目が向くようになる。
この捉え方の転換は、対戦相手への見方をも変えた。
以前の僕はミスの原因を、自分のスイングやフットワークばかりに求めていた。自分の性格である極端な自責思考が災いし、相手の存在を無意識に半ば無視していた時もあった。しかし本来テニスは相手がいて初めて成立する。まずは相手の強さをそのまま認める。その上で、相手が攻めきれていないコースや相手がミスしやすい展開を考え始める。相手の強さを素直に受け止める「他者肯定感」を持つことで、内向きだった視野が外へと開き、勝つための選択肢がさらに広がる。
自己肯定感と他者肯定感。この二つは、テニスにおける「自分との戦い」と「相手との戦い」にそれぞれ対応している。不完全な今の自分と、目の前の相手の強さを素直に認める。それが柔軟な思考を生み、勝利への道を切り開いてくれると思う。
もちろん、こうやって言葉にするのは簡単だが、緊張と高揚が入り混じった試合中に冷静にこれを実践するのは難しい。元々フィーリングテニスで好き放題に暴れ球を打っていたポンコツの自分だから、まだまだ試合中に頭が回らないことも多い。引退まで残すところ6ヶ月、自分の未熟さと相手の強さを認め、自分の頭で考え抜いてテニスをやり切りたい。その先に、僕自身が体育会に求めていた人間的成長があると思っている。

