可能性〜西井泰佳〜

こんにちは。庭球部一年の西井です。
このブログの存在を知ったのは昨年の三月です。庭球部に入部しようか迷っている時、部の雰囲気を少しでも掴むために飛ばし飛ばし読んでいました。もうあれから約一年経ってしまったことが信じられないです。体感の時間の経つ早さがますます加速してゆくのを感じます。そんな中でこの先の大学生活で、自分が大事にすべきことを書きたいと思います。
中学生のころや高校生のころを今思い返せば、無限の可能性を持っていたのだということに今更ながら気づきました。中高の膨大な時間を割けば、何にでもなれたのだと思います。しかし高一高二…と進級するにつれて自分の「なれるもの」の選択肢は狭まっていくのを薄々感じました。今大学に進学して、もう少しで学科が決まって、ますます自分の可能性が狭められるのだと思うと、なんだか自分はこんなものかと、少々情けなくなる気持ちが拭えません。結局、時間経過に伴う自身の可能性の低下にこんなにも抗えないのかと実感し、この世で最も凶悪なものは時間なのではないかと本気で思います。
また、そんな可能性に縋って、やりたいことを見つけられずにいる自分を見ないふりすることもあります。膨大な時間を与えられた時、自分の可能性の幅は広がります。ただ、その時間を自分のために適切に使えるかは別の話です。時間があるのだから後回しでいい、まだ時間があるのだから時間の経過に身を任せよう、というのは最悪の選択です。刻一刻と時間が過ぎるとともに、自分の可能性が狭まる恐怖を常に感じなければならないと思います。時間がある時こそ、自分のやるべきことを探すために、視野を広く保ち、挑戦することが重要です。

このように可能性は二面性を持つと思います。一つは純粋な自分の「なれるもの」が広がる魅力。もう一つはそれを乱用することで時間と共に押し寄せる落とし穴。入学してもう一年が経過しますが、それでもあと三年はあります。中高と同様、再び膨大な時間が与えられたと言っても差し支えないでしょう。そんな中で可能性の落とし穴に落ちないように気をつけるべきことは、「決めたことはやり切ること」、「やりたいことは全部やること」、「何かを極めるために何かを捨てることはやめること」だと思います。最初の二つは意識せずとも自分の性格上自然と達成できると思っていますが、3 つ目は意識していないとふとした時に抜け落ちます。「二兎追うものは一兎も得ず」と言いますが、三兎くらいは追ってやろうという気持ちを常に心に留めておきたいです。この部活に入部したのは、そのうちの一兎としてテニスを選んだからです。自分が未来でどんな仕事をして、どんな生活を送っているか想像はつきません。そういう意味ではまだ、昔より狭まったとはいえ、可能性が残っているのだと思います。その残りの可能性を、膨大かつ限られた時間の中で最大限ぶん回していきたいと思います。絶対にこの大切な時間を無駄にしないとここに誓って、このブログの締めとさせていただきます。
以上です。失礼します。

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