The Lazy Song

こんにちは。庭球部2年の李です。
まずは、ブログの提出が大幅に遅れてしまい大変申し訳ありません。明日は書こうと毎日思っていたら書け
ませんでした、すみません。
近況と言えば、どすこい、最近は相撲を見るのにハマっています。今年の夏には、5年ぶりの開催となった夏巡業の豊田場所にもいきました。パワフルなその姿からたくさんのパワーをもらいました。人間いつでも力強くいたいものですね。
情けない自分の話はさておき、先日、4年生方が引退されました。引退対抗戦やリーグ戦での4年生方の勇姿、そして引退式での言葉は、今の自分とはあまりに程遠いものであり、その姿に本当に心を動かされました。引退式までに 4年生方が積み重ねた努力や道のりは、想像を絶する程のものであったのだろうと勝手に思っております。自分もあと2 年近くありますが、引退の時までに、少しでも先輩方に近づけるように必死に頑張りたいものです。ということで、今回のブログでは、そんな情けない自分と向き合うべく、自分欠点である「怠惰な自分」について考えてみたいと思います。意外とバレていないのかもしれませんが、自分は本当に怠惰で、何をやるにも、腰が重いどころの騒ぎではありません。具体的には、「怠惰」が形成されたマインドとメカニズムを、自分の小学生時代から遡って追求していきたいと思います。どうしようもない内容なので、ほんとにやる事がない時に、暇な人は読んで欲しいです。
自分は、小学生の頃は結構頑張っていたように思います。親の言うことは聞いていたし、勉強も真面目にしていた気がします。その甲斐もあり、麻布という中学校に合格出来たのですが、ここからが終わりの始まりでした。自由な校風らしいということで、受験する事も決めたのですが、入ってみると想像以上でした。今思えば、頭で思いついた事くらいなら、3秒後にはそれが実現できる環境と仲間がいたような、そんな感じがします。これを書いている途中にも色々思い出したのですが、冷静に今考えると、結構動悸がしてきました。運が良くてよかったです。
そんなわけで、勿論勉強の優先順位はビリになり、日々遊び呆けていました。ただ、ずっと何もせずフラフラしていたかというと、それがそうでもありませんでした。勉強しない代わりに、部活や文化祭、運動会などに向けられる麻布生の熱量はとんでもないものがありました。僕はそんな彼らが大好きでした。普段はやる気もなく、そこら辺をウロウロして、ダラダラと中庭で寝転んでいた彼らが、時々見せる真剣な表情と、圧倒的な熱量で物事に向かう姿とその環境はやはりカッコよく、自分にとってなんとも居心地のいいものでした。そんな訳で、普段はダラダラしているけど、やる時はやれるやつがカッコいいみたいな風潮が全体的にあった気がします。そんな中で、意外と勉強もその例外ではなく、授業は全部寝ているのに、なんか地頭いいなみたいな人は尊敬を集めていました。逆に結構勉強しているのに、テストが悪い人はボコボコに叩かれていました。今思うと理不尽なものです。そんなこんなで、結局、怠惰だけどなんかできるやつがカッコいいみたいな風潮があったのと、シンプルにみんな怠惰なのが相まって、まだ普通に本気出して無いだけだしな、といったマインドを持った 200 人ほどのどうしようもないアツい人間が高 3 までにたくさん出来上がっていきました。(勿論、周りに流されず淡々と勉強を続ける人達もいました。本当にカッコよかった。)
高3になると、何やら今回ばかりは事情が違いそうだという雰囲気を各々感じ取り、皆必死に受験勉強を始めました。ただ、現実はそう甘くはありませんでした。勿論成績をぶち上げる人も多くいましたが、それでも結果として合格には届かない人も多くいました。自分も例外ではなく、普通に落ちてしまいました。そこで痛烈に、小さな努力を積み重ねる事の偉大さと困難さを知りました。自分の努力は、他の受験生と比べたら勿論大したものではなかったのだと思いますが、それでも悔しくてその時は泣いてしまいました。その後、悔しかったという感情をバネにして、浪人で1 年間勉強して結果合格することが出来ました。浪人を通じて、努力を継続する事の大切さと達成した時の喜びを体感する事が出来たと思います。これで怠惰な自分が直ったなら多分一番良かったのですが、そうは問屋が卸しませんでした。この怠惰さとは多分ずっと付き合っていかなければならないのだと思います。大学入学時に、結果として完成していたのは、小さな努力を日々積み重ねることの大切さとその困難さは頭でわかっているつもりでも、やっぱり怠惰なままの人間でした。
大学に入ってテニスをすることはなんとなく決めていたのですが、部活に入るかサークルに入るかはかなり悩みました。もう結構頑張ったし、フラフラ遊ぶのも楽しそうだななんて思っていましたが、何となく部活の練習会にも行きました。すると練習会では、真剣に、またとても楽しそうにテニスをしている先輩方がコートにたくさんいらっしゃいました。そこで、自分もこんな風になれたらかっこいいなと思って最終的には入部を決めました。怠惰な自分ですが、大学でテニスだけは真剣にやろうとそこで思いました。もちろん部活は楽しいことだけではなく、大変なこともたくさんありました。部活をやめようと思ったことも、全てから逃げ出して楽になりたいなんて時も最初の方はありましたが、今まで続けてこられました。なんでこんな自分が続けられているか、ふと考える時があるのですが、これは同期の存在と引退された先輩方の言葉によるものが大きいのかな、なんて思います。頑張っている同期の熱や、先輩方のやり遂げた勇姿やその言葉が、自分の中に大きく残り続け今に至るのだと思います。自分一人の脆弱な意思ならもうとっくに辞めてしまっているかもしれません。
話は少し変わりますが、皆さんが人生で一番大切だと思うことは何でしょうか。僕は「幸せであること」だと思います。
では、幸せを感じる時とは具体的にはいつでしょうか。友人や家族、恋人からの愛情を感じた時、美味しい食事やお酒を飲んでいる時、近しい誰かが何かを成し遂げたとき、先バレ音がした時、など色々あると思いますが、ぶっちぎりで幸せな瞬間があると僕は思います。それは、「自分の力で何かを成し遂げて今までの努力が報われた時」、すなわち「自己実現」です。この「自分の力で何かを成し遂げる」というプロセスにおいて、大事な要素が3つあると思います。
自己実現において、大事な要素の一つ目は「環境」だと思います。人間はその環境に放り出されたら、それが本人の中で当たり前になり、なんとも思わなくなってきます。つまり目標を達成できるような厳しい環境に身を置けば、どうであろうとその目標に向けて頑張ろうとする傾向があると思います。ただその環境に来たのは、少なくとも自分自身の意志であるというのが大事だと思います。
続いて二つ目は、「動機」です。これは言わずもがなのモチベーションですが、環境に比べたら要素としてはちっぽけなものだと思います。というのもモチベーションというのはアップダウンが激しいものなので、常に高いやる気を持ち続けて物事に取り組み続けることは難しいからです。ではなぜこの動機が大事なのかというと、要素の一つ目である「新しい環境」に足を踏み入れるには、どうしても最初に自分の意志が必要不可欠になってくるからです。物事を始める序盤に強い動機を持って、厳しい環境に身を投じ、物事がうまく回り始めて段々となれてくると、そのやる気自体がどうしても下がってしまう時期が来たとしても、その時にはもう自分の中で当たり前のハードルというのは上がっているわけなので、その時点で既に成長しているし、自身がその環境にもなれてきた頃なので、やる気がない時は無理せずじっくりモチベーションの波が再び高まるのを待てばいいわけです。もちろんその動機を軸に頑張り続けるのもいいですが、その最初の動機に固執し続ける必要はなく、むしろその環境に身を置いてある理由など、時が経てば自然と変化しうるものだと思います。動機は、その環境に身を投じることに、最初に最低限自分を納得させるための、きっ
かけのようなものだと認識すればいいと思います。最後に、要素の三つ目は「仲間」です。同じ志を持った仲間というのは、いい刺激を与えてくれ、決して自分一人では到達し得なかった場所まで行けるようになると思います。尊敬の念を抱いたり、悔しさを感じたり、切磋琢磨できる喜びを感じたり、抱く感情は様々あると思いますが、苦楽を共にした仲間との経験そのものも、何にも変え難いものだと思います。ジン=フリークスの言葉に、「大切なものは欲しいものより先にやってきた」というものがありますが、まさにその通りだと思います。大きな目標のために仲間と努力し
て、その目標を達成することは最上級の喜びですが、困難を一緒に乗り越えた仲間との絆そのものが、目標達成にも勝る素晴らしい宝物であるということを言っているのではないでしょうか。
長くなりましたが、自分が人生で一番大事にしたいことが「幸福であること」で、そのためには「自己実現」が一番大事だと思っていて、自己実現に大切なのが、「環境」と「動機」と「仲間」である、と僕は思っているということです。大学でまだ何をしようか決めていない人や、新たに何かを始めてみたいと思う人は、自身の興味関心がある、今より少しハードな環境に、少しの勇気を持って飛び込むのがいいと思います。ここで大事なのは、現段階の自分にとって、少しハードであるということです。そこから逃げ出さない限りは、いつの間にか、最初はキツかったはずの、その環境のハードルが自分の中で当たり前になり、また自然と新たな高みを目指すようになります。そうやって物事が回り続ければ、気がつけばとんでもない高みに到達できるはずだと、自分はそう信じています。そして、東大庭球部には、それら全てが揃っていることを約束します。だから、この文章を読んでくれて、少しでも興味のある人がいたら、自分なりの動機と少しの勇気を振り絞って、ぜひ東大庭球部を覗いてみてください。あなたにとって最高の居場所になると、僕は思います。
後半思いがけず、かなり香ばしい文章になってしまい、「誰が言ってんだ」なんて声が聞こえてきそうですが、許して欲しいです。そもそもテーマとして自分の「怠惰さ」と向き合うはずだったのに、しまいには「今よりハードな環境に身を投じて…」とか立派に書いてあって、読み返すと結構恥ずかしいです。しかし書き直す時間はもうありません!このブログのリアルな最終締め切りが、すぐそこまで迫っているため、ここら
辺で堪忍して欲しいです。
まあ今日はもう何もする気が起きないので、とりあえずベッドで寝っ転がって、明日からまた高みを目指して頑張りたいと思います!
以上です。失礼します。

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