引退の言葉〜北慎之介〜

東京大学運動会硬式庭球部男子部前主将の北慎之介です。

今回のブログでは、引退の挨拶として、「東大に入り運動会でテニスをする意味・意義」を考えてみることで、後輩たちあるいは未来の庭球部員に向けたささやかなメッセージにしたいと思います。

まずは、庭球部を支えてくださった全ての方々に、改めてこの場を借りて感謝申し上げます。

庭球部で過ごした3年半は、今後の自分を支えうるであろうかけがえのない時間になりました。また何よりも、この1年間を共に過ごした部員全員に心からありがとうと言いたいです。そして、大学生活において一番多くの時間を過ごした同期のみんなの存在は、何物にも代えがたい宝物です。

こうした幸せな時間を過ごすことができたのも、テニスを通じた深い縁があったからこそだと実感しています。

思い返せば、テニスを始めたのは小学生の頃で、次第にのめり込んだ自分は、しばしば全国選手を輩出する奈良女子大学附属中等教育学校への進学を決めました。中高一貫校であったこともあり、5年生(高校2年生)までテニスに明け暮れる日々を過ごすことになります。「自由・自主・自立」という校風もあり、とくに練習や試合が強制されていたわけでもないのですが、朝早くからコートが埋まっているほどテニス好きな部員がたくさんいました。そんな部員たちに触発されながら、自分も仲のよかった同期と、雪が積もった日でさえダウンを着こんでやったり、休み時間も小さなネットを引っ張り出してきて校内の路上でボレー対決なんかをやったりしていたことを思い出します。

さて、そんなこんなでテニスばかりしていたのですが、受験を考え始めた頃、テニス部の顧問であり担任でもあったA先生やY先生から東大の受験を勧められます。テニスに明け暮れていた一方で、学校のプログラムを使って日本の城郭や美術について勉強していた自分は、その最高峰の場所で勉強したいと思い、東大を目指すことに決めました。

受験勉強をしていたある日のこと、東大について調べていた影響からか、偶然にも東大庭球部の新歓PVがYouTubeのおすすめに表示されました。そして、何気なく再生したわずか1分後には、胸が高鳴り、言葉にならない高揚感に包まれたことを鮮明に記憶しています。それが、私と東大庭球部との初めての出会いでした。

その後、幸いにも無事東大に進学することができ、現在は東大庭球部の前主将という立場で引退のブログを執筆させていただいているわけですが、このような不思議な巡り合わせに、深い感慨を禁じ得ません。ちなみに、新歓PVを通して庭球部に出会った自分ですから、2023年の新歓PV制作を任され、作り終えた動画をYouTubeに投稿した日には、感無量でした。(https://youtu.be/fdUNK7G3yLU?si=YlRoI7G0EM8BdQk-

このように、人生の岐路(中学進学、大学進学)には多かれ少なかれテニスが関わっていたわけですが、赤門納会でコートを縦横無尽に駆け抜けたり、テニスを通じてコミュニティーを広げたりする先輩方を見るたびに、これからも生活の中に潤いのあるテニスライフを送っていきたいなあ、なんて思ったりしています。

ところで、城郭や美術の研究という夢を抱いて東京大学の門をくぐったわけですし、そもそも東大とは縁遠い人生だと思っていた自分ですから、「東大に入ってまで運動会でテニスをする意味・意義」をぼんやりと考えることがありました。とても、常日頃から考えていたわけではないのですが、主将という立場で部員たちの迷いに向き合ったり、外部の方々との対話を重ねたりするうちに、この問いがしばしば静かに私の内面に立ち現れるようになったのです。引退して数ヶ月が経ったことを活かし、少し俯瞰的な視点から考えてみようかなと思います。

このことについて考える際、ヒントになるのは先輩方の声、すなわち『東大庭球部100年史』を参照することでしょうか。創部100周年の節目を飾るべく編まれたこの記念誌には、明治35年(1902年)の創設以来、幾多の時代を彩った庭球部員たちの貴重な声や記録が刻まれています。さて、本書のページを繰ってみると、日頃より大変お世話になっている岡橋先輩の言葉が目に飛び込んできました。

時折しも学生運動、就中東大紛争が本格化しつつある時期で、東大生のあるべき姿、延いては日本のあるべき姿が問われていた時代であった。テニスを続けていていいのかとの議論も勿論部内にはあったが、我々は「テニスで哲学しろ」、「テニスで人生勉強しろ」といった諸先輩の教えを忠実に守って(中略)兎にも角にも庭球部員として2大目標目指してがむしゃらに突っ走ろうということになった。(岡橋修「昭和44年度の概況」『東大庭球部100年史』赤門テニスクラブ、2004年、274頁)

※就中→読み:なかんずく, 意味:とりわけ

※2大目標→リーグ戦2部昇格・京大戦勝利

まずは、ここに登場した「テニスで哲学しろ」、「テニスで人生勉強しろ」という言葉をきっかけに、今回の問いの答えを探してみることにしましょう。

そもそも「哲学する」とはどういうことでしょうか?ここでは、物事に対して一定の距離を置いて向き合い、それを普遍的な視点から理解しようとする行為だと定義したいと思います。では、「テニスで哲学する」とはどういう意味を持つのでしょうか?この概念は、書籍やインターネットで調べてもなかなか捉え難いものです。そこで、生成AIの見解を参考にしてみましょう。

なるほど、賢いですね。自分にとっては、1の中にある「試合中の緊張やプレッシャーの中で自分の意志をどのようにコントロールするかは、意志の自由や自己制御についての哲学的問題と結びつきます」が一番しっくりくるように思います。要するに、テニスを通して己(自分自身)を知るということでしょう。

じっさい、「プレースタイルがその人の性格や人生を表している」という話題が、同期との会話の中でしばしば取り上げられていたことを思い出します。

たとえば、ゲームカウント4-5の30-30の時、手堅くラリー戦でものにするのか、アグレッシブに攻め切るのか、はたまた奇襲を仕掛けるのかといったプレーの選択は、その人のプレースタイルもさることながら、性格や人生における姿勢を如実に表すものです。

私自身の場合、こうした緊張感のある場面をむしろ楽しむ傾向があり、「こんな経験はなかなかできない」と捉え、逆境をポジティブに消化するタイプです。一方で、リードを奪った際には気が緩んでしまい、試合を効率よく締めくくることができないという性格でもありました。このほかにも、チームの運営など他者が関わる状況になると、多くの人の意見を聞こうとする反面、そのせいで途端に優柔不断になり、必要以上に悩んだり心配したりすることも少なくありません。こうした傾向は、自分自身のあらゆる面にも言えることであり、普段の生活では気づきにくい自分の本質的な部分が、テニスのプレー・部の運営を通して鮮明に浮かび上がってくるのです。つまり、コートでの決断の連続は、実は日常生活における私たちの選択と密接に関わっていたのであり、こうした状況は、自分と向き合い、その特性を客観的に理解するための絶好の場でもあったのです。

さらに、「テニスで人生勉強しろ」という言葉は、まさにここで認識した自分の課題や弱点を乗り越え、克服することを促しているものとも捉えられます。コート上での判断や行動、そして庭球部の運営に関わる様々な経験は、自分の強みと弱みを理解し、人間として成長するための貴重な機会を提供してくれるのだと言えるのです。

ちなみに、『東大庭球部100年史』の冒頭には、「自らを恃む(読み:たのむ)矜持と己れ自身と戦う根性」(猪熊研二「『東大庭球部100年史』刊行にあたって」『東大庭球部100年史』赤門テニスクラブ、2004年、前付4頁)という言葉が、東大独自の精神力を表すものとして掲げられています。まさに、いま見てきたような「テニスで哲学しろ」・「テニスで人生経験しろ」という概念を換言しているのではないでしょうか。

その上で、「東大庭球部で」という部分について考えてみましょう。この点に関して簡潔に言えば、「アイデンティティの確立」という側面が浮かび上がります。この概念は、洋の東西・時の古今に関わらず、あらゆる場面で持ち出されるものですが、ここでは、単なる所属意識を超えたより重層的な認識を、自分の経験の面から捉えてみることにします。

たとえば、同クラや学科での自己紹介で「運動会硬式庭球部に所属しています」と言うと、他の運動会所属者との間に共通言語が生まれ、しばしば新たなつながりを築くことができました。また、パーティーやイベントなど様々な場で思いがけずOB・OGの先輩方と出会い会話が弾んだり、メディアで先輩方を見かけたりする経験は、「世代を超えた連続性の中での自己認識」を感じさせます。これは100年以上の歴史を持つ東大庭球部ならではの特徴であり、個人としての自分を超えた歴史的文脈に自己を位置づける機会となります。さらに、地元で他大学のテニス部に所属する友人たちとプレーする際にも、同じく体育会(運動会)庭球部という背景を持って向き合う特別な心地よさを感じることもあるのです。

こうした多層的な関係性の中で、単に「テニスをする一東大生」としてではなく、「東大庭球部員」としての固有のアイデンティティが形成され、それは所属しているという事実以上の、内面から湧き上がる充足感をもたらすものでした。フランスの哲学者ポール・リクールが提唱した、自分の人生を一貫した物語として理解することでアイデンティティを形成する「物語的自己同一性」という概念を踏まえれば、東大庭球部での経験は、私の人生物語における重要な章を形作り、その一貫性を強化する役割を果たしたと言えるでしょう。

このように考えると、「東大庭球部で」という要素は、単なる活動の場所や集団の名称を超えて、自己認識の基盤となる社会的・歴史的文脈を提供するものだったのです。そして、この確固としたアイデンティティこそが、運動会でテニスをする心理的支柱となり得るのではないでしょうか。

この3年半の庭球部での経験を振り返ると、「東大に入り運動会でテニスをする意味・意義」とは、結局のところ「テニスを通じて自分自身を知り、同時に自分のアイデンティティを形作る」ことだったと思います。

とはいえ、現役の時は単純に「テニスが楽しいから」やっていただけで、それが一番の理由だと思いますし、ここまで述べてきたことはすべてそれに付随するものに違いありません。しかし、この問いを、過去を振り返りながら、当時の人々が必ずしも認識していなかったかもしれない普遍的・個別的な事象を見出し、一般化するという歴史学の手法で考えることで、「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになる」(E.H.カー著、近藤和彦訳『歴史とは何か』岩波書店、2022年、86頁)とE.H.カーが言うように、現在や未来につながるヒントになりうるかもしれません。

親とのボール遊びから始まったテニスの縁は、奈良女子大附属につながり、東大につながり、いまや私のアイデンティティの大切な部分となっています。

後輩のみんなにとって、これから庭球部で過ごす時間は、テニスの技術向上だけでなく、自分自身を発見し成長させる貴重な機会になるでしょう。ぜひ東大庭球部という環境で、皆さん自身の「テニスで哲学する」・「テニスで人生勉強する」経験を見つけてください。

最後に、同期の仲間たち、支えてくれた多くの先輩方・後輩のみんなに改めて感謝を伝え、擱筆することにします。

東京大学運動会硬式庭球部 男子部前主将

北慎之介

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