実存の輪郭は、敗北によって刻まれる〜小野専凱〜

「実存の輪郭は、敗北によって刻まれる」

中学2年。僕はレギュラーを奪われた。
あのとき、初めて自分が「他者の評価」によって定義される存在であることを知った。
だが同時に、それだけでは終わらない実存の可能性が、自分の内側にあることにも気づいた。
誰かに勝つことよりも、 “昨日の自分”に対して誠実であるかどうか。
僕の部活は、勝利の追求であると同時に、自己との対話だった。
沈黙の中で、汗を流しながら問い続けた。
「何のためにやるのか?」
この問いこそが、僕の輪郭を少しずつ彫刻していった。
高校では副キャプテン。
言葉で指示するより、背中で語る役割。
そこには内在する責任と、超越すべき自己があった。
リーダーとは強さではなく、弱さを受け入れる勇気のことだと知ったのもこの頃だ。
そして迎えた、引退試合の予選決勝。
相手のマッチポイントが3本。
誰もが「終わった」と思っただろう。
だが僕の中には、明確に“まだ終わらない”という感覚的な確信があった。
それは理性の声ではなく、経験と反復のなかから沈黙のうちに醸成された信念だった。
3度、運命に抗い、勝利を掴んだ。
だが、この勝利の意味は、数字や記録では語れない。
それは、過去の失敗を否定することなく乗り越えたという、自分自身への回答だった。
受験期。A判定は全然取れなかった。
周囲は「厳しいかも」と言った。
けれど、僕にはあの試合の記憶があった。
周囲の評価に左右されず、自分の内にあるビジョンを信じ抜いた体験があった。
あのときと同じように、確信だけが静かに燃えていた。
「これは偶然ではない、必然だ」と。
そして、合格。
それは外的な成功ではなく、自己を形成してきたすべての積み重ねが、ひとつの形をとって現れただけのことだった。
勝利も、合格も、他者には「結果」に見えるかもしれない。
けれど僕にとっては、それらはすべて、問い続けた日々の“応答”にすぎない。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。