引退の言葉〜和泉龍之介〜

私の名前は和泉龍之介と申します。

締め切りを過ぎての提出となり、文章を書くのが好きなやつというものはかくも納期に鈍感なのだなと痛感しております。国文学という時間期限を守れない奴らが守ってきた学問について深く考えた結果なのでしょうか。愛する後輩には最後まで迷惑をかけてばかりです。

さて、本題。

私の引退ブログというものを書かせていただきます。

正直に言ってしまうと、私は同期後輩に顔向けできないような怠惰な男でございます。

テニスも、怪我の影響もあって、どうにもマイペースにやってしまった感がございます。

それ故に同期、ひいては後輩へのテニスプレイヤーとしての尊敬は誰よりも深くあると自負しております。私は最後まで、大学テニスのスリーセットマッチというものに前向きに取り組めはしなかったように思いますし、引退試合もシングルス1セット目を取りながらセカンド、サードと落としてしまい、因果応報という語が頭から離れません。

人間、一瞬でも真面目に向き合えなかったことには最後の最後でしっぺ返しを食らうものなのです。

物事に取り組むうえで、私は『夜長姫と耳男』という小説のこんな一節を思いだします。

「好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。」

そうです。一度好きになった物事は、どうあれ呪うほどの気持ちでもって立ち向かうか、完全に殺してしまうか、それ相応に、その存在自体と争わねばならないのです。このいずれでもない愛について、私は浅いと言わざるを得ません。

私はテニスが好きです。フォアハンドでクロスをぶち抜いたり、リターンで相手の準備できていない状態を驚かせたり、サーブを叩き込んで甘い球が返ってきたのをオープンコートに落としたりするのなんか、最高に気持ちが良いものです。

しかし、今になって思うのは、これはテニスが好きなのではなく、有利状況が好きなだけだったなと思います。辛い場面を耐えて相手を崩すだとか、そういった駆け引きはしんどいし、そこに頭を使って繊細に組み立てるということはあんまり好きじゃないようなのです。

私は辛いことが嫌いです。辛いのなら、テニスなんか好きじゃありません。

そう言い切れてしまうことが私の弱さでした。だから上に行けなかったのだとはっきりとわかります。肉体的疲労を乗り越えたうえでのカタルシスに、私はついぞ目覚めることはできませんでした。

弱い人間は、追い詰められても笑えなければ、強くはなれません。後輩に私が残せる言葉といえばこんな呪詛じみた言葉くらいです。私は真剣に駆け引きを考えて、練習して、怪我をして、折れてしまいました。

楽しかった思い出はたくさんあります。

廣岡との最後のダブルスはもちろん、東京国際との対抗戦でベンチコーチの草刈だけでなく相手応援までも驚かせる鮮烈なシングルスなんかは会心譜でした。

しかしながら引退の言葉となるとこうも弱音が出てしまうのは、自分に問題がありながらも対処できなかった心の弱さと、一度愛したはずのものを呪うことも、殺すことも、争うこともできずに、引退対抗でも黒星をつけてしまったことへの後悔が間違いなくそこにあるからです。

呪ってください。殺してください。さもなければ、争ってください。

大学テニスというものが楽しいだけじゃないことは皆さん承知のことでしょうし、そこを超えなければやはり明日などないのだということを、まだ若輩の身ではありますが、先達として言わせていただきます。

そして何よりも、そうしたテニスへの執念というものは、思えば思うほど成就することも私は同期の姿を見て知っています。

要するに、思い切りやるしかないのです。もう戻る道などどこにもないのです。貴方に退路に見えている道は、後悔の道です。

始めてしまった責任は、愛してしまった責任は、徹底することでしか果たせません。

後輩諸君は、いつまでも格好良くいてください。

私も『夜長姫と耳男』の一節を胸に、後悔のない人生を送ります。

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