引退の言葉〜張田匠哉〜
お久しぶりです。先日庭球部を引退した、4年の張田です。これまで関わってくださった部員の皆さん、先輩方、指導者の方々、本当にありがとうございました。部員のみんなに向けて話したいことは引退式でほとんど話し終えてしまったので、ブログでは、今自分が考えている、「これからの生活」について書きたいと思います。
部活を引退して2~3週くらい経ちましたが、ボールを打ったのは引退試合のあとにたった一度だけです。ここ半年くらい使い続けていた手首のサポーターを外してボールを打ってみたのですが、流石に手首がかなり痛くなってしまいました。そのため、一ヶ月くらいは少なくともテニスはお休みして、他の活動に時間を割こうという方向で考えています。
ここで問題なのは、次にどんな活動を行うかです。
まずは、これまで部活ばかりやっていたために進捗がほとんどなかった卒論を進めなければなりません。これまでも研究室にはある程度顔を出してはいたのですが、雑談をすることが多く、しっかり集中して実験を進めることができていなかったのでこれからは集中力を高めて取り組んでいかなければなりません。私は卒業研究で魚肉のタンパク質、主にかまぼこの研究を行っているため、しっかりと食品産業に役立てられるような成果を、大学院修了までの間に残したいと考えています。
また、音楽活動にも興味があります。これに関しては口だけで全く行動に移してはいないのですが、私はかねてより楽器をかっこよく演奏してみたいな、と漠然と思うことがありました。というのも、大学1年の頃にさいたまスーパーアリーナで観たあいみょんのライブに非常に感銘を受け、「あんなふうにかっこよく大勢の人たちに囲まれて輝きたい」と思ったからです。少し大袈裟な言い方になってしまいましたが、自分がいつも聴いているJ popや洋楽を自分で演奏できたら楽しいだろうな、と思います。具体的にはギターをやりたいのですが、練習場所の確保と費用が課題です。埼玉の親戚の家に確か楽器がたくさんあったな、と思い出したりしています。もしも庭球部メンバーでバンドを組むなら、ボーカルは洋楽でもなんでも対応可能な廣岡、ギターが僕、ベースが李、ドラムが草刈といったところでしょうか。藤井か池田がDJをしてくれるとありがたいかもしれません。あと、バックダンサーもつけたいですね。星川兄弟に二人で踊ってもらいましょう。
さらには、海外留学にも興味があります。私はこれまで生まれてからずっと日本国内にいるのですが、ありがたいことに部活や研究室で留学生との交流の機会に恵まれ、日本以外の国で生活することにも憧れを持つようになりました。これまでとは違った価値観や文化に触れることで、これから生きていく上でより広い視野を持った人間になっていきたいと考えています。こちらに関しては実際に来年秋出発の交換留学への申し込みを行い、モチベーションも高まっています。しかし、周りの留学希望の東大生たちは僕よりもずっと優秀な人たちばかりなので、学内選考を通過できるかどうかはなんとも言えない状況です。また、自分の留学先がドイツ語圏になる可能性は低いのにもかかわらず、最近なぜか一年生の時2外で受講していたドイツ語を学び直しています。おそらく単純に「ドイツ語ができたらかっこいいかな」と思ったからだと思います。
私の欲張りは止まるところを知らず、テニス以外のスポーツにまで手を出そうとしています。この前はバドミントンの社会人サークルの体験に行きました。私はバドミントンに関しては完全初心者ではありますが、同じラケットスポーツであるテニスの経験から、それなりに上手にプレーをすることができました。また、社会人の方々のお話もたくさん聞くことができ、運動不足解消にもちょうどよく、かなり楽しむことができました。バドミントンを今後も続けるかどうかはわかりませんし、またテニスに熱中する日が来るかもしれません。というか、多分一ヶ月くらいしたら自分はまたテニスラケットを握っているのだろうなとも思います。いずれにせよ、何かしらスポーツは続けていきたいなと思っています。
ここまでたくさん、テニス以外の自分のこれから行いたいと思っている活動(全部叶えるキャパがあるとは到底思いませんが)について様々書いてきましたが、書きながら感じたことは、「自分が4年間を費やす場所としては、テニス部以外にありえなかった」と言うことです。正直なところ、ラスト1年は鬱陶しいサポーターやらテーピングやら湿布やらをずっと使い続ける日々で、ストレスもとても多かったです。庭球部に入らず、たとえばもっとサークルなんかで楽しいことばっかりしている大学生活の方が幸せだったのではないか、と言うことをずっと考えていました。ギターを弾いて五月祭のステージで歌っていた世界線、他大学との合同サークルに入っていっぱい遊んでいた世界線もあったのかもしれません。ただ、高校生の頃から、あるいはもっと前から持っていた自分の競技としてのテニスへの情熱は、もしも部活をせずに他の選択をしていたとしても抑えることができずに勝手に湧き上がってきたのだろうなと思います。そして、例えば軽音サークルに入っていたとしても、きっと自分のことだから、1年生の秋か2年生の頭くらいでテニス部に途中入部していただろうなと思います。手首が相当壊れていたにも関わらず、まさかリーグ最終戦までやり抜き、しかも単複勝利で終わることができたことは自分でも本当に驚きです。これこそ、自分の情熱が、そう簡単になくなるものではなかったと言うことの証明だと思います。4年間の総合成績としては思い描いたものとは程遠いものでしたが、「終わりよければ全てよし」と言うことで、今は部活に思い残すところはありません。これからは後輩たちを時々見守りつつ、様々な活動で視野を広げ、深みのある人間になっていきたいと思います。自分の人生は、きっと苦難も確かにあるけれど、結局はなんやかんやうまくいくようにできているのかな、という気がしつつあります。これからの人生にテニスがどのくらい登場するかはまだわかりませんが、とにかく楽しみでなりません。


