パラレルワールド〜松本秀幸〜

こんにちは。庭球部1年の松本です。

 早いものでもう入学から2年が経とうとしています。数字は決して打ち間違いではありません。2年からの入部を快く受け入れて下さった寛大な庭球部、そして、庭球部1年として温かく扱ってくださる部の皆様には日々感謝の念が絶えません。

 さて、実際に大学1年生の時にこの部活に入部していたら、なんて考えることもあります。そこで、このブログでは世界線の選択についての私なりの姿勢を話そうと思います。思うがままに書きますが、言いたいことの一端でも伝われば幸いです。

 まず、難しいところですが、世界線とパラレルワールドは一般的には違うものと言われています。世界線とは時間的な流れで過去から未来への一本の線のようなものである一方で、パラレルワールドとは今この瞬間も同時に存在する別の世界のことです。簡潔にいうと、世界線が枝分かれした結果、その先で個別のパラレルワールドが生じるといった感じです。

 また、余談ですが私はパラレルワールドという語感が好きです。特に「パラレル」というワードです。まずは「ぱ」という破裂音が、なにか弾けるような、新しい考えや世界への気づきを与えてくれます。そして、そのあとにラ行で流れるように「られる」としめる。そこには滑らかさがあり、聴いていて心地が良いです。「ぱ」という破裂音に対して「られる」でまとめる、ここにはエネルギーの解放を感じます。「ぱ」という爆発から「られる」へのスムーズな移動が、停滞していたものが動き出す予感、高揚を与えてくれます。そして最後に「られる」で収束するこの単語の流れが、ひとつの単語としての完成度の高さを表しています。相対性理論の「ミス・パラレルワールド」ではサビでパラレルという単語が連発しますがその度にパラレルの語感の良さを感じます。とても良い曲だと思います。

 話を戻します。世界線を選択した結果生じるパラレルワールドを想像することはよくあることと思います。例えば、あそこで告白をしていた世界や歌手になっている世界など、想像したことはないでしょうか。私も中学で陸上部ではなくもっとテニスをしていた世界、高校で軽音部に入っていた世界などたまに考えたりします。後の祭りだと言われることもありますが、こんな想像をしてしまうのはきっと過去に何らかの未練があるからでしょう。サカナクションの「スローモーション」には、「だんだん減る だんだん減る だんだん減る未来 未来 だんだん知る だんだん知る だんだん知る未来」という歌詞があります。曲の解釈に正解など無いので私の考えを申し上げます。これは自分の人生の時間が進むにつれ、残される可能性は確実に減っていく。けれどその分自分という人間の輪郭を知るということだと思います。時間というものは残酷で、私たちの可能性や選択肢を奪っていきます。その中で、人生において大事な選択をし続けなければなりません。

 大学一年生の時、確かに私は庭球部に入るという選択肢を選びませんでした。その一年間部活でしっかり練習するという世界線もあったはずです。しかし、この遠回りをしたからこそ、部活動に打ち込める環境の有り難さを人一倍実感できているのも事実です。選択肢が減り、その中で私の輪郭は庭球部という形に収まりました。

 選択とは自分の可能性を減らしてしまう行為です。さて、ここでもう一曲紹介しようと思います。RADWIMPSの「ヒキコモリロリン」です。この曲には、「君が生きてる今が この瞬間が 『嘘です 夢です 本当は君死んでます』って言われたそんな時も 笑えるよう こんな幸せやっぱり夢だったのかぁって」という歌詞があります。割とこれが私の書きたい答えのような気がします。自分の生きてる世界が嘘だと言われて、やはりこんな幸せな世界線はありえなかったと納得してしまう。それほど今を肯定して生きていけるようにするという姿勢こそが、選択肢を減らし続けていく人生において、何かを選択する上で大切なことではないかと考えます。

 2年生から入部するという選択も、僕にとっては大切な選択の一つでした。この先の人生でこの選択を肯定できるように日々練習に励んでいきたいと思います。

 以上です。失礼します。

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