引退の言葉-深澤祐援-
どうもみなさんこんにちは。
昨日みんなの記事を更新しました、深澤祐援でございます。
この記事は公開日時を調整して30日に更新したにもかかわらず、29日の1時に更新したことにしています。僕の記事が先頭に来るというのは何だか土佐たちに申し訳ないですからね。最後まで影に徹し切りますよ、僕は。
というわけで広報として土佐以下6人を急かす側だった僕ですが、いざ書き出してみると
何書いたらええんや( ゚Д゚)
となっています。
しかし僕が広報として記事を更新できるのもこれが最後。しかも既に僕以外の人の記事を更新している今、僕が別に長文を書いたとしてもテニス部四年生の評判が落ちることはありません。垂れ流してまいりましょう。
僕が硬式テニスを始めたのは小学4年生の時で、中学3年生までクラブでやってました。
なので実は僕はいわゆる”ジュニア上がり”になれるはずだったのですが、高校が部活強制の所で尚且つ軟式テニスしかなかったのでしょーがねーかということで軟式テニスしてました。
軟式テニスしてたから俺は弱かったんだ!!と全面的に非難するわけではないのですが、やっぱりずっと硬式してたらもっと強くなってたかもなぁと思っちゃいますね。
現在は申し訳ない程度のタッチの良さでジュニアでテニスしていた頃の片鱗が垣間見れる気がします。
そういうわけで大学でまた硬式をやろうと思って最初はサークルに所属するのですが…だめでした。
理由は色々考えられますが、ここは僕がコミュ障だったからという理由に収束させておきましょう。
あとはお酒が飲めないので仲良くなるきっかけも出来ないことと、トレーニングがなくて真剣さがいまいち足りなかった所、且つ人数が多すぎてテニスがあんまり出来なかったこととかも付け加えておきます。
そんなわけで部活に入ったのですが、一年生の頃は住んでいた場所が諸々の事情のせいで遠くて(埼玉県和光市)、加えて東大にせっかく入れたんだから勉強しなきゃ!(僕は一浪です)というわけで、
- 義務練習、対抗戦には遅刻や不備を連発
- 平日のフリーコートには殆ど行かず図書館に籠城
- 家が遠いことを理由に同期・先輩を問わず誘いを断って即帰宅
…いやーこれは仲良くなれるはずがありませんね。今も即帰宅するところは変わらないです。
何かテニスやったらはいおわりって感じになっちゃうんですよね。本当は皆とカラオケとか行きたいんだよ!?
勉強とテニスを両立するならサークルに入っておけば良かったのに、という所ではありますが入ってしまった以上はもう仕方ないです。
退部する気はさらさらなかったのですが、何でお前部活入ったんだよということで部員の方々をイライラさせてしまったと思います。その節はどうもすみません。
その後、一年の冬に駒込に引っ越すことで大分ましになりました。住むとこって大事や。
2年の間は経済学部への進学振り分けを目指して奮闘していたため結局義務練習以外での練習を増やすことはあんまり出来なくて、意識的に増やせたのは3年生になって授業が本郷で行われるようになってからでした。
この時期はテニスの調子が良くて、練習も相応に楽しく感じられていた時期でした。セレクをあんまりやっていなかったため、断れる制度のことを殆ど知らず、上セレクも含めて4日間毎日セレクをして(リーグオフ)、下セレクは全部勝ったというのもこの時期の出来事です。
しかしそんな風に調子が良かったのも3年の年末まで。年が明けてからは
- 浅草寺で凶を引く(ここで一番悪いのは凶。やっぱりあまり出ないらしい。)
- 胃腸炎(毎年同じような時期にお腹壊す)
- 痔になる(先生に「若いのに苦労してるね」と言われる)
- 前から痛めていた足の筋がこの時期また痛くなる
- 吾妻にセレクで初めて負ける(ナイター)
などなど、ちょっと反動が強すぎました。元々被害妄想気味で日々を生きているのですが、それにしてもこの時期はやばかったと思います。
テニス的な意味での調子はそこから好調に戻ることはなく、4年生になってからはセレクや対外試合で勝った経験が殆どなくて(シングルス)、特に今まで負けたことがなかった相手に立て続けに負け始めたこの時期は、僕にとって少し重すぎました。
工学部系の大学院入試のために勉強していて、文系の僕にとって新しく独学で学ばなくちゃならないことが多かった、つまり余裕がなかったといえばそれまでかもしれませんが、それにしても上手くいかない日々でした。
テニスでの苛つきを隠せず、テニスを楽しめなかったこの時期は本当に残念です。
今思い返しても、元々被害妄想で且つ大学入試で一度失敗した経験をもつ僕にとって、院試勉強の時間を確保したいのに練習には行かないといけない状況はどう考えても自分の心に矛盾を生じさせるものでした。
ただ、僕は必要以上にストレスを生み出してしまっていました。せめてテニスしている間は切り離して考えることが出来れば良かったのですが。
という感じで僕の部活生活を簡単に振り返ってみました。うーん、長い。でもこっそり更新する記事だから別にいいのだ。
部活生活を振り返って改めて僕自身が言いたいことを考えてみると、他の四年生が言ってくれたことを除くとあんまりないもんですが、
強いて言うと、テニスを楽しめる環境を作っていくことが大事なんじゃないかなということです。
僕は最後、テニスを楽しめずに終わってしまいました。
皆さんはテニスを楽しめているでしょうか。
練習をし続けて楽しさを再確認できるか、しばらく休部して久々にやったら楽しかったとなるのかは人それぞれかもしれませんが、色々な人に悩みを打ち明けられなかった、共有できなかったのが僕は一番良くなかったなと思っています。
ミクロ的な視点での対策は、自分でテニスに関する悩みを真剣に聞いてくれる人を作ることですかね。僕は恥ずかしがって最後までテニス部の人にテニスのことで真剣に悩み相談をしたことはなかった気がします。恥ずかしがらずに行きましょう。
マクロ的な対策、つまりは部全体の話ですが、やっぱり煽り合う環境は良くないんじゃないかなーと僕は思っています。正のエネルギーに転化出来る人ばかりならいいかもしれませんがそうでない人もいるわけでして、
だったら万人に対してプラスエネルギーである空間のほうがいいと思うわけです。
テニス部は確かにテニスを通じて仲良くなるための空間ではなく、勝利を目指すための空間であることは事実です。が、同時に僕たちは互いに影響しあっているわけです。
セレクでたくさん勝っている調子の良い人がいればその一方でモチベーションが地に落ちている人もいるのです。
そういう人を蹴落としていく、見過ごしていく空間は、僕はいやです。
東大テニス部がプラスエネルギーの渦巻く環境になっていけばいいなーと思います。
最後に広報としてご挨拶を。
僕がこのホームページを作り始めたのは2年生の年末のこと。次の新歓までに間に合わせよう、ということで始めました。
以前のホームページが機能しなくなったことを受けて話が持ち上がり、最初はwebデザイナーに製作代行する予定だったらしいのですが、元々web系をかじったことのある僕はwebデザイナーに依頼するとどれだけぼったくられるか知ってたので、
「自分たちで作ったほうがいいっすよー管理も楽だし」( ・´ー・`)どや
みたいなことを言ってしまいました。そうです。言ってしまいました。
当然「じゃあお前がやれよ」となるわけです。そりゃそうですよね。
webプログラミングの知識はあったのですが、趣味で作ったものしかないので顔となる公式サイトの制作は当然初めて。ショーケース的なwebサイトでええんやろ!?と思って始めるも、情報を載せるだけというのも味気ない。じゃあやっぱりブログいるやん。でもブログレンタルするのは公式サイト的にかっこつかない。よしじゃあブログシステムを自分でつくろう!新しいプログラミング言語学ぼう!冬学期のテスト?うん、そこそこくらいでいいかな!
こんな感じで考えをめぐらしていたわけです。
最初は「タイル上にコンテンツを配置するwebデザインおしゃれだわー」と思ってそれを実装しようと頑張るわけですが、公式サイトという全年齢的に受け入れられるサイトにするには難しいなということで断念。
シンプルな1カラムデザインでいーや、ということでヘッダーメニュのFlash素材をお借りしたり作ったり、ブログシステム実装のためにwordpressの勉強してphp学んで、わちゃわちゃ。
なお冬学期テストは大爆死した模様。これが理由で経済学部でのゼミが決まるのに非常に苦労したほか、経済学部の大学院に進学出来る可能性が消えて(´・ω・`)ってなってました。まぁ楽しかったので構わないのですが。
春合宿までに原型が出来て、新歓時期にはブログの公開が出来るようになりました。その後はしばらくいじるのをやめて、夏休み期間にスマートフォン対応をして、そこからもちょくちょくレイアウト変えたりして現在に至ります。Twitterを表示したりSNSボタンをつけたりしたのはこの半年のことですね。
ついでに試合統計の管理も僕がすることになって、というか試合統計自体僕がコーチなどに勧められる形で始めたので当然の帰結なんですが、慌ただしい日々が続いてました。
そういえば人の統計はいっぱい見ましたが、心残りは自分の統計を見られなかったことです。OBとなった今は、少しでも多くの人が自分のデータを見れるように尽力したいです。セレクするんで、統計とってもらえませんかと一声かけてくれれば僕は嬉々としてコートに向かいます。
そんな感じでテニス部公式サイトに関わってきたのですが、自分の作ったサイトが公式サイトとしてgoogle検索に表示されるようになるというのは気分の良いものです。
テニス部に在籍していながらテニスで名を残すのではなくwebデザイナーとして名を残すという少々不本意なところではありますが、
本当にいい経験が出来ました。
でも、いつかサイト制作の報酬が出ると信じてやみません。ああ、神様どうかよろしくお願いします。
いや、ちゃんと交渉しなかった僕が悪いんですけどね。取り敢えずこのサイトが残ってくれれれば僕はそれで満足です。
いやー、4000字書いちゃいました。こっそり更新とはいえやりすぎましたかね。
思いの丈をこうしてつらつら書けるのもテニス部をやり通したおかげです。希薄な存在ではありましたが、どうもありがとうございました。
そういえば、土佐と鵜木さんにはFacebookでいつも写真をお借りしていました。どうもありがとうございました。
テニスに対して悔いが残るまま引退した僕は当然コートに行きます。トレーニングもします。ラン14分台をコンスタントに出せること、ひいては13分台を出すことを目標にしていきます。現役の皆様どうかよろしくなのです。
女子部の皆様にはコーチとしてお世話になります。コーチというか、テニスの相手をしてもらう気分で行こうと思います。よろしくお願いします。
それでは皆様、またあう日まで。