選手の景色

こんにちは、庭球部主将の松村です。
新歓も一段落し、一昨日からは春関が始まりました。今日は最近某主務のみ○ととのやりとりのなかで考えさせられることがあり、このブログを書くことにしました。
いつも通り長文になることを先にお断りしておきます笑
みなと曰く
「新歓活動って強い子だけ勧誘すればいいのだろうか…もしそうであるなら、庭球部はレギュラーのみの10人ぐらいで活動すればいいだろうし、自分を含めレギュラーでない部員たちの存在意義はなんだろうか?」
この問いかけに僕は答えに窮した。なぜなら僕は高校、大学と試合に出る側の人間であったため、イレギュラーとしてボーラーをしたり、応援をしたりする機会がほとんどなかったからだ。
正直な話、僕はイレギュラーの立場や目線でこの問いかけに答えることはできない。
ただ、言えるのは「それは極論だ。違う気がする」ぐらいである。そのため、一度自分が経験してきた立場からじっくりと考えてみることにした。

まずはレギュラーだけの対抗戦を考えてみた。振り返ると、応援やボーラー、審判がいないレギュラーだけの対抗戦はなにか盛り上がりに欠ける。気持ちが乗らないことが多かったりする。
その理由を考えると、「チーム」への意識が薄くなるからだと思った。言い換えると、チームの勝利に貢献するというレギュラーとしての責務や使命感を感じにくいということだ。テニスは本来個人競技だが、よりその感覚に近くなってしまうのかもしれない。

僕は常日頃レギュラーとしてあるべき姿というのを意識している。それは練習に真摯であり、試合になればチームの勝利のために最大限努力する、その使命感を感じながらプレーする、というものだ。以前、部員には伝えたが、単にテニスがうまいだけでは「レギュラー」とは言えないと考えている。使命感や責務というのは、やはり試合に出れない選手の思いを背負うということだと思う。その思いを背負えない、理解できない選手はどんなに上手くても試合に出る資格はないと思っている。

僕がこよなく愛する『キングダム』という漫画でも同じようなシーンがある。
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(『キングダム』原泰久 16巻 より)
ここでは将軍という存在がどのようなものであるのかを語っているわけだが、大げさに感じるかもしれないが、レギュラーもまた仲間の思いを背負うという意味ではこの王騎将軍と通じるものがあるのではないかと思っている。

つまり、レギュラーという立場から考えると試合に出られないイレギュラーの選手たちにも「レギュラーに計り知れない勇気と力を与えている」という存在意義がある。
その力はイレギュラーの選手たちが日頃どのぐらい頑張っているか、レギュラーたちとどれだけ同じ目標を共有して一緒に汗を流しているかでまた変わってくると思っている。
現に自分の試合に入ってくれるボーラーの後輩たちの全力疾走している姿を見るだけでも「頑張ろう」と思えるし、応援の言葉かけは言うまでもない。

応援するイレギュラーの選手たちが自分たちの存在意義を感じないというのであれば、それはレギュラーにも責任があるだろう。自分を含めまだまだ未熟である証拠である。団体戦というのは、その日の自分の調子がどうであれ、どんなに気持ちが乗らなくてもチームのために仲間の思いを背負って全力を尽くさなければならないものだ。
今のレギュラーたちにももう一度このことを意識してもらいたい。

今回、み○との言葉から改めて大事なことを考えさせられた。しかし、僕の意見はあくまでレギュラー目線のものである。
イレギュラーの選手目線ではまた感じ方が違うだろう。今後のブログではイレギュラー目線からの意見も書いてもらうつもりだ。

あまり長いと読む方も疲れるのでこのぐらいにしておこう笑

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