部員として〜深谷怜央〜
こんにちは。庭球部二年の深谷です。 とうとう僕の番がやってきてしまいました。刻一刻と締め切りの時間が迫るなか、何もアイデアが浮かばず、悶々としております。
色々と悩みましたが、やはりブログとは自分を知ってもらうために記すものでしょう。足立君いわく自分語りは合コンで嫌われるそうですが、彼は合コンではしないものの一人で抜け駆けして自分語りを始める男です。
僕のブログぐらいはご容赦頂けるでしょう。
少々長くなりますが、お付き合い頂けると幸いです。
東大生として一年半が経ちました。
初めて東大を訪れた高3の夏、僕はオープンキャンパスの帰り道を歩いていました。
「まさかこの道を毎日歩くことになるとは夢にも思わなかったなぁ……」と思える日が来ることを夢見て、受験の決意を固めました。
蝉がよく鳴いていました。 少々回り道をしたものの無事に東大に合格した僕は、思い描いていた理想とは全く異なる生活を送っていきます。 よく分からないウイルスによって社会は断絶し、大学へ通う機会も………… ということではなく、単純に堕落した人間になったのです。勉強と実家、という両の鎖から解き放たれた僕は、趣味に明け暮れ、観光地へと羽を伸ばし、そして毎晩のように友達と飲んだくれていました。
東大に入って学んだことと言えば、東京の路線はどれも似たようなものであること、東大の名前を出すだけで思っていた以上にチヤホヤされること、ぐらいでしょうか。 日本一の大学で学問を学びたい、などという高き志を掲げ勉学に励んでいた二年前の僕に対して申し訳なく思うと同時に、今こうしていられるのはお前のお陰だよ、と感謝しながら日々を過ごしています。
しかし、そんな生活がとても幸せなのです。端から見れば若さの浪費に思えるかもしれません。実際、目を見張るような学業成績を修め、献身的な活動をしている人は山のようにいますし、「東大までの人」と言われるような人間が出てしまうのも事実です。 でもそんな事考えていたら疲れてしまうし、楽しくない。
最高峰の授業を好きな時に受けられ、紋所のように見せつけられる学生証があり、そして何より僕のことを慕ってくれる人間がいる。 それだけで東大に入った意味があると思っています。
バーテンダーとして十ヶ月が経ちました。
お酒好きが高じてバーで働こうと思った僕は、下北沢で新しい店ができるとの求人広告を見つけ、面接へと足を運びました。
後から知ったことですが、そこの店長は下北沢で一時代を築いた有名人であり、ズブの素人であった僕を
「一緒にいると楽しくなりそうだから」
という理由だけで快く迎え入れてくれました。 そして何をトチ狂ったか、入ったその日からカウンターの中を任されました。
右も左も分からない20歳が一人でカウンターに立つ訳ですから、考えられないようなミスを繰り返します。
割ったグラスは数知れず。
灰皿を洗わずに出したり、ポテトフライに致死量程度の塩をかけたり。
お客さんに失礼な事を言ってしまい、「お前がいる日は来ない」と言われたこともあります。 それでも根気よく続けていくうちに、仲良くしてくれる人間が増えていきました。僕より親の方に近い年代の方達でも、分け隔てなく一緒に飲んでくれるので大変有難いです。
そして、僕目当てで来てるれる人が出来るようになりました。その人が別のお客さんと仲良くなる瞬間に一番のやりがいを感じます。
僕をきっかけに人と人とが結ばれる。これ程の快感はあまりありません。
人脈を作る、などという烏滸がましいことは考えていませんが、それでもこうした人との繋がりを、大事にできる人間になりたいものです。 近年、お酒というものに対してマイナスのイメージが普及しています。しかし飲み方を知っていれば、素晴らしい出会いが生まれるのもまた事実です。
このブログを読んでくださっている皆様、うちの店のインスタグラム(@soundsgood.bar)をフォローし、是非遊びにいらして下さい。
あ、でも飲み過ぎには注意して下さい。
心当たりのある部員へ、あなたのことですよ。
東大庭球部員として一年と二ヶ月が経ちました。
浪人時代の友人に、一緒にテニスをしようと誘われていた僕は、テニス部への入部を考えるようになりました(ちなみにテニサーは眼中になかったことをここに誓います)。
しかし敢えなくその友人は不合格となったため、散っていった彼の遺志を受け継ぎ、僕はTwitterで入部希望のDMを送りました。 初めてコートを訪れたその日も、蝉がよく鳴いていました。
しかし期待に胸を膨らませた練習初日は惨憺たるもので、新歓練習など呼ばれていない田舎者はコートの場所を知らず、隣のキャンパスを駆けずり回っていました。
加えて勉学に打ち込んでいたツケと、大学の部活動ならではの厳しさが相まって、僕はその夜夕食のペヤングを全部吐き出しました。
そして一番の問題は、僕が初心者であったことです。
事前に伝えてはいたものの、これ程の初心者は近年いなかったらしく、当時の四年生の
「ここまで下手な奴が入ってくるとは…………」
と言わんばかりの気まずい表情が、今でも忘れられません。
そんな僕でも先輩及び同期の指導のお陰で、徐々に上手くなっていきました。入部当初に撮影したビデオでは、死にかけのゴキブリみたいなフットワークの僕がいますが、今では少々サマになっています。
そして気がつけば次期役職に就くような学年にまでなっていました。時が経つのは早いもので、いつまでも初心者などとは言ってられなくなりました。
先日、四年生の先輩方の引退試合が行われました。二年連続でリーグ戦が中止になり、満足いくような花道が用意できないなか、組まれた引退試合の相手は、二年前に破れた獨協大学でした。
四年生の方々がどれ程真剣にテニスと向き合ってきたかを間近で見ているだけに、因縁の相手を目の前に奮闘する姿は、胸に迫るものがありました。
そしてまた、入部した時の初心を思い出させてくれました。
対人練習はおろか、球出しさえも上手くできなかった初心者の僕は、本当に皆に迷惑をかけました。
庭球部員には相応しくないと考えることなど、何回もありました。
それでもここまで続けてきたのは、自分の中で一つ思う事があるからです。
それ即ち、他の用事が忙しくとも、私生活が乱れていようとも、朝練の直前までベンチで太太しく寝ていようとも、練習が始まればしっかりと声を出し、テニスの上達を目指す。
それが、それだけが、部員でいられる資格だと思うのです。 今の僕がそう在れているかは分かりませんが、少なくとも引退試合以降、その”初心”は一層強くなりました。
試合で目にしたような尊敬される先輩を目指す、なんて器ではないですが、少なくとも受け取った思いだけは後代へと繋いでいきたいと思います。ここまで読んで下さり本当に有り難うございます。 四年生の方々、三年半お疲れ様でした。最上級生として部を牽引する姿は、大変頼もしかったです。
三年生の方々、一番身近な先輩として、いつも優しく時に厳しく指導して下さり、有り難うございます。
一年生、こんな僕を先輩扱いしてくれて感謝しかないです。ご飯無限に奢ります。
同期へ、いつも支えてもらってます。本当に有り難う。 皆様の益々のご活躍を、心より祈っております。
東大庭球部の一員として。 深谷怜央