もう一歩前へ〜井尾大志〜

こんにちは。庭球部一年の井尾大志です。

今週の執筆担当は私になります。
早速ですが、今回は足立先輩曰く合コンでは忌み嫌われると言う自分語りでいかせていただこうと思います。しょうもない話になりそうですが、最後までお付き合い頂けますと幸いです。

テニスにおける自分のプレースタイルの話をします。私は筋金入りのシコラーです。シコラーというのを簡単に説明すると、テニスの戦術において、無理に攻めずひたすら相手のボールを拾い続ける作戦、すなわちしこしこ相手のボールを拾い続けるわけで、このことを俗に「しこる」といい、その戦術を好んで使用するプレーヤーをシコラーと呼ぶわけです。積極的にボールを叩きリスクを冒してばこばこ攻めていく「バコラー」としばしば対比されますが、シコラーという存在は、やや言葉の響きが怪しいこともあってか、若干小ばかにされがちな風潮も感じます。

確かに、ロジャー・フェデラーのような多彩な攻撃パターンによる超攻撃型テニスは、見ていてどうしようもなくかっこいい。それに対して、極力リスクを抑えて淡々と打ち返していくシコラーがバコラーに比べ派手さに欠け、安定感重視すぎてあまり面白くないテニスに見えてしまいがちなのは否めないかと思います。


ですが、シコラー人生もそれなりに楽しいものです。初めは相手が調子よく得点することも多いですが、こちらも折れずにボールをひたすら拾ううちに大抵の相手はミスを重ね、メンタルに負担がかかってくれば心身ともにリズムを崩し始めます。試合も後半に差し掛かり、泥沼化してくるにつれ「一体俺はこんな奴を相手に何をしているんだ」「こんなクソテニスに負けるなんて耐えられない」「もうテニスなんて嫌だ!」と言わんばかりの、素晴らしく苦痛に満ちた表情を見せてくれます。

一方の私はかっこいいテニスという面でプライドを完全に捨てているので、相手のその表情を見る瞬間がむしろ何よりも好きで、試合中疲れていても、あともうちょっと頑張ろうと元気づけられます。こうして、試合の流れは私の方に向くようになり、接戦になった試合は大抵勝つことができます。

私が自分から攻める場面は滅多にないですし、基本的にロブ、スライスなどの球種を中心に相手に決められない程度の精度で返しているだけなので、一つ一つのラリーは大抵長くなります。中学生の頃から同じようなテニスを性懲りもなく続けていますが、今はまだ丸くなった方で、昔自分と同じようなタイプの相手と対戦したときは、5分程度のラリーが何本も何本も続いてひたすらロブを打ち合うというような頭のおかしくなりそうな試合もよくしたものでした。それでも、自分の形に持ち込むことができた試合はほとんど勝ってきたと思います。

はっきり言って、自分でも褒められた戦法ではないと思っているし、もっとうまいやりようはあったと思います。対戦相手にはしっかりと嫌われました(今もかな?)。ですが、競技としてテニスを始めてからずっと、本当に懲りずにこのやり方を貫いてきた結果、それなりの自信を得ることができたと感じます。ただひたすらに勝利のみを渇望し、自分の実力でどうすれば勝てるのか考えた結果、たどり着いた解がここにありました。

自分はストロークの安定感で劣る分、スライスとかロブとかドロップとか、タッチが大事なショットを磨き、体力と集中力と精神力(試合中の、弱々しく長いラリーに対して湧き上がってくるとてつもない虚無感をかき消して無心になることがコツです)で人より勝ろうとする道を選びました。その結果、自分の性格に合うテニスという意味で一定の満足感はあります。

このように、自分がやってきた徹底したシコラーテニスにある程度満足しているわけですが、大学に入学して庭球部に入ったいま、それなりの迷いが生じて、自分のテニスの岐路に立たされていると感じています。


問題なのは、あまりに守りに入りすぎた、ということです。守りに入りすぎると、実戦の中でリスクを取って攻めながら失敗を重ねて成長していく、という過程を忘れてしまいます。すなわち、テニスにおいて、一つ上のレベルに自力で上げていきにくい。

今のシコラーテニスでは、自分より下位のレベルもしくは同レベルくらいまでには強いですが、それ以上になると到底勝てない。目先の勝ちにこだわりすぎました。普通のプレーヤーなら、自然な成長の過程で越えていけるような実力の壁が、自分の場合、思っているより高いと感じています。

あくまで根本にあるシコラースタイルを変えるつもりはないですが、この壁を越えてもう一段階上の強いシコラーになりたい。そのためには、シコラーと言えどもっと主体的に攻めることが必要になります。自分から得点を取っていくという強い気持ちを持たねばなりません。おそらく、試行錯誤したうえでリスクを取った失敗や敗北が伴うと思います。ですが、そうした失敗が自分を強くし、相手に圧をかけ相手の圧を削ることのできる強い選手になれると思っています。この点を肝に銘じて一層気合を入れて精進していこうと思います。

またテニス以外の面でも同様に、後ろに引いて守ってればいいや、攻めないでいいや、の精神が自分の価値観や性格にまで悪影響を及ぼしていることを懸念して、悩ましく思っています。つまり、いくら後ろで守りがちな人生でも、本当に出るべき場面では一歩前に出ないといけないと考えているということです。最近はこのことを常に考えています。人生全般で僕は後ろに引いて守りすぎました。自分が傷つかない楽な方へ楽な方へという選択をしすぎました。しかし、どんな状況でもリスクを取って一歩前に出ないといけない場面はやってくるのだと思います。


自分の過去を振り返れば、練習したこともない無謀なサーブ&ボレーを繰り出した挙句あっけなくパッシングを抜かれ敗れ去った恋愛もありました。一見リスクを取ったようですが、途中の会話のラリーで負けて傷つく方を恐れ、一瞬で楽に負けられて傷を浅くすませる手を選んだ、つまりリスクを避けたといえます。高校のとき東大に単願で突っ込んで浪人したことも、同じようなことが言えます。東大一本勝負と銘打ってリスクを取って攻めたふりをしているが、実は私立に落ちるという自分にとって納得されがたいリスクを避けて、一番自分が傷つかない選択をしていたように感じます。こういった失敗から学べるのは、よく考えず闇雲に一歩前に出ればいいということではないということです。無謀な攻めとは違う、着実な攻めが求められます。


そのためには、自分でも経験がなくまだどうすればいいのかわからないところも多いですし、リスクを取って失敗する現実に直面するのは傷つくことも多いでしょう。しかし、やっぱり引いて引いて守るばかりではダメで、何事も自分から一歩前に出ていこうという意識を強く持っていかねばならないと思っています。なんだかこのままでは締まらないので、最後に少しだけまじめな話で締めようと思います。

先日今まで一年間部の中心として活躍されていた四年生が引退されました。僕自身そこまで四年生の方々と多く関わることはなかったですが、練習や試合を通じて逞しい姿を見せていただきました。僕にとっては、まさに背中で語るという感じだったと思います。入部からの三年半の間、おそらく私には想像のつかないほどの苦楽があったのだろうし、引退にあたってもいろんな感情が渦巻いていたように見えました。部活をやり抜いたからといって、いい感情だけが残るわけではないということは伝わりましたし、どちらかというと重圧から解放された安心感の方が強そうにも見えました。ですが、それでも最後は本当にすがすがしい表情をされていたのが印象的でした。


自分が部活を続け引退するとき、何かを得たと感じることができるのか、今は全くわかりません。ですが、今はそんなことは考えず、いつか尊敬する先輩方に少しでも近づけるように、とりあえず今は一日一日を大切に、頑張ってテニスしていこうと思っています。最後となりましたが、日頃から東大庭球部へのご支援・ご声援を賜っておりますことを、一部員として感謝申し上げます。これからも東大庭球部の応援をよろしくお願いいたします。
以上です。失礼します。

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