あきらめない精神〜奥田介統〜

こんにちは。庭球部1年の奥田です。高3の春に絶対に入ろうと決めていた庭球部に入部して9ヶ月が経過しました。時が経つのは早いですね。基本自分から何かを発信するのは得意ではなく、正直何を書くのが正解か分からないので、思いついたことを書いていきたいと思います。

まず、冒頭にも書きましたが、自分が東大庭球部に入ろうと思ったきっかけは高3の春で、引退試合の時でした。県大会で三回戦を突破し2週目に残ることができたのですが、四回戦で第一シードの学校とあたりボコボコにされました。結果的にはそのまま全国準優勝をしてくれて、今の自分を作ってくれたので良い引退試合だったとは思っています。では、圧倒的格上相手で、どうしてそんなに悔しいと思えたのでしょうか。
実は、自分はダブルスに出たのですが、相手のうちの片方は小学生の時に一緒に練習していた人だったのです。向こうは自分のことを覚えてくれていて少し話すこともできましたが、もう住む世界が違っていました。中高5年間ですごい差を作られてしまっていました。小学生の時も負けていましたが、ここまででは無かったはずです。もちろん、向こうがテニスに打ち込んでいる間、自分は主に勉強に打ち込んでいていたので当然のことで、それが間違ってはいなかったと思います。それでも悔しいものは悔しかったです。

引退が決まりしばらく勉強に手がつかずふわふわした時期が続いていました。梅雨に入るか入らないかくらいの時期だったと思います。この時期が自分の中高の生活をしっかり振り返った最初の時期になったと思います。てきとうに勉強して、てきとうに遊んで、てきとうにテニスをした5年間は決して悪いものではありませんでした。しかし、同時に毎日のように厳しく指導されながらテニスをしていた小学生の頃も懐かしいもので、あの時怪我をきっかけに中途半端にテニスから離れたことを初めて後悔しました。もし、あのまま中学に行ってもテニスを本気で続けていたらどうなっていたのでしょうか。きっとこの大学には入れなかったでしょうけど。

こうして僕は大学でサークルではなく部活に入り、もう一度本気でテニスに打ち込むことを決意しました。親には国立に行くように言われて、まずテニスの強さを調べてみました。関東に住む理系の自分は東工大や横国なども候補にありましたが、なんと東大がリーグでは1番よかったのです。上記がこの大学の志願理由です。これをモチベに僕の壮大な受験勉強が始まりました。そして迎えた最初の東大模試、なんと偏差値は36。僕の合計点は友達の英語の点数よりも低かったです。それでも僅かな可能性を信じて東大を受けました。結果、80点以上足らず。当たり前すぎてあまり落ち込みませんでした。

ここで、僕は大きな決断をします。塾依存型の勉強から自宅浪人を決意しました。当然、周囲の人達からは反対されましたが、どうせ同じように失敗するくらいなら後悔のない方を選びました。宅浪とは同じ生活の繰り返しで、1ヶ月家から出ないこともありました。元々あまりコミュニケーションは得意ではないので、人と話す機会がないことには耐えられました。入試が近づくにつれて不安が増す、なんてことは意外にもありませんでしたが、成績はずっと伸び悩んでいました。迎えた共通テスト、目標得点には遠く及びませんでした。共通テストの自己採点を元にした判定も半分を割っていました。それでも1度決めたことなので志望校を落とすことはしませんでした。そして1年ぶりの本郷キャンパスでの入試。英語もあまり出来なくて、理科も想像以上にできませんでした。しかし、奇跡は起こりました。今まで模試で40点も取れなかった数学で78点も取れました。結果、合格点+3点でギリギリ受かることができました。思えば、高校入試も学校独自入試で100点中13点しか取れずギリギリで受かっていました。

 ここまでテニスとは直接は関係ない話ですが、テニスにつながる重要な学びを得ました。それは「あきらめない精神」です。これは僕が中学生の時にクラス代表に選ばれた時の弁論の題材でもあります。しかし、あの時はただ漠然と「あきらめるな!」という感じだったので考えが深まったと思います。そこで、宅浪という貴重な経験をした僕が受験を通して、あきらめずに物事を行ううえで大切だと思ったことを少し話したいと思います。 まず、自分が後悔しない選択を行い、決断を曲げないことです。僕は基本周りの言うことに振り回されて自分の意思を持つのが苦手ですが、浪人してでも東大に行こうと決めたこと、宅浪をしたこと、この庭球部に入ったこと、これは全て自分とは異なる意見を持った人々が周りにいながらの完全に自分での決断でした。簡単に変えられてしまうような決断は簡単に折れてしまいます。

次に、継続することです。目標に向けて頑張る時、どれだけモチベが高くても必ず壁にぶつかります。ここで1回目標のハードルを下げたり、都合の良いように変更したりすると、次の壁やその次の壁も越えられなくなるため、気づくと時間だけがすぎてしまうことになります。辛くても常に何かしら、少しでも前に進もうとすることが大切です。 最後に、これだけは今も中学生の時も変わらない、一貫したことで、不可能はないということです。多くの人は明らかに無理だと思われることを「あきらめろ」だとか「子供じゃないんだから」と否定します。この考えは多くの人から受け入れてもらえないもので、これを読んでいる方々も、「何を言っているんだ」という感じでしょう。もちろん口だけでは誰でも簡単に言えます。実現を目指すには上に書いた2つのことを達成して、それに加え、想像を絶するような努力が必要になることは間違えありません。

貴重な宅浪の体験を語ろうと思っていたのですが、結局関係がないことばかりを話してしまいましたね。先程話した引退試合で負けた相手を初めとする、小学生の時に一緒にテニスをしていた人たちに追いつくこと、そして追い抜くことは庭球部に入った理由であり、これからの目標でもあります。そのためには、庭球部で1番になり、大きな大会で本戦までいけるレベルになる必要があります。それはとても厳しいことであり、多くの人が無理だと思うことでしょう。それでも口だけでは終わらず、コツコツと努力を積み重ねて必ず達成したいです。そしてこの⻑々書いた教訓が名言になるくらいに頑張りたいです。

ここまで庭球部に入るまでのことや⻑い受験で得たこと、これからのことを書かせていただきました。文章力のかけらもないのに、誰も興味がないであろう僕のことを⻑々と書いてしまい、申し訳ありません。最後まで読んでくださったことはこの上無い喜びです。また、日頃から自分を支えてくださっている方々には、感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございます。

最近は少し伸び悩んでいるところもありますが、これからいっそう気を引き締めて頑張りますという決意とともにこの文章を終わらさせていただきます。

以上です。失礼します。

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