待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。

オーマイガー、この部活あったかすぎるよ。

部活動に関する私なりの感想はそれだ。 私ははっきりいって部活における先輩後輩づきあいが苦手だ。距離感がわからないのでいつも尻込みをして深いことなど聞けないか、聞こうとして言葉足らずになる。 テニスをしているときはマッチポイントでリターンダッシュ・サーブ&ボレーを狙える僕のメンタル がこうした付き合いになると途端に機能しなくなるのである。 しかしながら部活の人たちはそんな私にも気を遣ってくれたし、優しくしてくれた気がする。気がするっていうか、実際そうなんだろうけど当人たちに気を遣った自覚があるかはわからない。自然に 気遣いができる素敵な大人がいっぱいなのも部活の魅力か。

私という人間はどうにも不完全で、すべてのものに迷惑をかけてきたと言っても過言ではないだろう。何分私は、自分以外の存在というやつに気を使うのが大の苦手だ。その気質も相まって先輩を始めとして、特に同期に迷惑をかけた。 はじめ私は私以外を信用していなかった。良くも悪くも私は自分を信じすぎていたのだ。絶対的な自信は、しかし組織活動としては致命的でもあった。 そんな私を変えていったのが同期の熱だ。厳しい練習と過酷なスケジュールを共に乗り越えるうちに、彼らの情熱と優しさと、高潔に見える外面に反してドブほど汚い人間であることを知った。 尊敬するしかない努力を積み、それでいて私同様不完全な性質を持つ皆の存在が、私の無責任を少しづつではあるが変えていったように思う。この同期たちに迷惑をかけてはいけないと思うことが規律を厳守せんとする原動力になったことに間違いはない。 悲しいことだが部という枠組みに奉仕する精神なんて、私の中にはちっとも芽生えやしなかった。 私はあくまで、自分を厳しさとともに少しづつ認めてくれた部活のメンバーに迷惑をかけないように生きていくことしかできない。

当面はどうか、それで部活を続けさせては貰えないだろうか。 組織に所属した人間は、その構成員を知る前に盲目的な枠組み信仰をまず強いられるのが常だ と思うのだが、私にはその段階が来なかった。部に入ったきっかけも結局人との繋がりだったわけだし、この先の就職とかが色々と不安になってくるのだが。 ……と、このようなことをこれ以上書くとまた怒られるかもしれないが。 いやはや、本当に私ってやつは変わったんですかね?

ともあれ、このようなことを言いたい。 不完全な人間を包容する、おそらく汗臭い熱が部活の本質であると、私は思う。 この熱とは、人の熱だ。無機質な集団の作る宗教的熱狂ではなく、前を見据えた人間たちの進む足跡が残す熱。
だからこそ互いに認めあえるし、尊敬しあえるのだと思う。
進む先は一つ、皆最強を目指して。 私が部活に入るきっかけを作ってくれた偉大なる先輩ももう卒業を控えている。 私は彼のように偉大になんかなれないし、人々に尊敬される人間にもなれない。 東大生たるもの自己完結を旨とせよ、みたいに東大に入った当初は思ったものだが、別に私一 人で偉大になる必要はないのだろうと今では思える。 同じ方を見て進む者同士、補い合って生きていけばいいのだ。 無論補われることのほうが多いとは思うが、そのときに嫌味を言われない程度には私も頑張っていこうと思う。

追伸 私の中には100の文章構想があったのだが、部活に対して文字を起こそうとしたらこれを白状する以外に選択肢がなかったことをここに詫びたい。私の文章に奇怪なコメディを期待した読者が もしいたなら、また筆を執る次の機会に。

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