引退の言葉〜神戸悠佑〜

こんにちは。先日引退した前会計の神戸悠佑です。

引退式では後輩達の記憶に残る言葉を意図しましたが、このブログでは記録として残るに値する言葉を紡ぎたいと考えています。浅学非才の身がなけなしの教養から捻り出した冗文ですが御一読くだされば幸いです。

さて、僕のこれまでの庭球部生活はシェイクスピアの喜劇”As you like it”の、

“All the world’s a stage,

And all the men and women merely players:

They have their exits and their entrances;

And one man in his time plays many parts,”

というセリフが象徴的に表現していると感じます。庭球部という世界は時間的にも空間的にも人生全体に比すれば些細なものに過ぎないかもしれません。演技の苦手な僕は大根役者でしたが、この舞台で人生と同じように入部から引退まで様々な役を演じてきました。下級生として、上級生として、会計として、コロナ対策委員として等々いずれも違った役でした。部員としての役割を果たすことはこの役を上手く演じきることだと思います。

このシェイクスピアのセリフの最後は、

“Last scene of all,

That ends this strange eventful history,

Is second childishness and mere oblivion;

Sans teeth, sans eyes, sans taste, sans everything.”

で締め括られています。僕自身も入部当初のような純粋な気持ちに戻り引退を迎え、この奇妙な事件に満ちた庭球部生活を終えて何もない生活に落ち着きました。庭球部での生活が忘却の彼方に消え去ってしまうのでしょうか。

次に、自分のテニスについても書こうと思います。僕と戦ったことのある人ならご存知かと思いますが、僕のプレースタイルは何もせず守るだけです。本心では確実に得点を取れるチャンスが来たら攻めようと思っていましたが、そのような機会が来る前に相手がミスするか自分がミスしてしまいます。

トルストイの小説『戦争と平和』に、

“Терпение и время, вот мои воины-богатыри”
「忍耐と時間、これがわしの軍神なのだ(新潮文庫『戦争と平和』第 4 巻第2部17章)」
という表現があります。そこで僕はこの言葉のように何時間もの忍耐によってポイントを取ることに専念しようと心がけました。華々しい結果を残せた訳ではありませんが、常にこの戦略を貫けたことに満足しています。

僕が1 年前に代替わりの抱負でも言及した幹部の仕事についても振り返りたいと思います。19 世紀初めに活躍したイギリス海軍提督のネルソンという人物の、
“England expects that every man will do his duty.”
という名言があります。個々が義務を果たすことが期待されているのはEngland だけではなく庭球部でも同じです。僕の幹部としての仕事の原動力はこの言葉でした。会計やコロナ対策委員の業務の多くは遂行に支障が生じることが想定されていないと僕は感じ、それ故に一層の緊張感とやり甲斐を持って仕事に取り組めたと感じます。

最後に”ewige Wiederkunft”という言葉で庭球部での思い出を総括しようと思います。この言葉は日本語では永劫回帰と訳され、全く同じ人生を未来永劫何度でも繰り返すという意味の哲学者のニーチェが唱えた思想です。

僕は永劫回帰に耐えられる3 年半の庭球部生活を送ることができたと思っています。勿論、過去の選択や結果に後悔がない訳ではありません。過酷なボーラーやトレーニング、新型コロナウイルスの流行などは苦難の記憶です。勝敗は兵家の常と言われますが、セレクションや対外試合での勝利や敗北の際の感情は一つ一つ鮮明に覚えています。それでも全く同じ成功と失敗、歓喜と悲憤をもう一度、何度でも、繰り返すとしても認容できる庭球部での時間を過ごすことができたと感じています。

これは何よりも先輩・同期・後輩といった仲間の存在故に得られた僥倖です。練習や試合、それ以外の時間に想いを分かち合い、テニスや人生について学びを与えてもらったことはかけがえのない経験です。また、これら同年輩の部員だけでなく、赤門テニスクラブや大学・運動会など周囲の大人の方々にも支えられて庭球部の活動を継続できました。この場を借りて感謝の念を述べさせていただきます。ありがとうございました。

以上です。失礼します。

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