テニスと歴史学〜北慎之介〜

まだ夜明けを示してわずかに白い空の中、「こんにちは」と誰もいないコートに挨拶をし、一礼する。寒さで緊張した空気が弛緩する尊い諧和の時。私はこの瞬間に生物無生物を超えた心寄せの一形態を感じます。最近では寒さも深まり、日にあたる通り道の木葉は多く枝を離れてしまいました。就中、脆いのは銀杏で、梢には最早一葉の黄しかとどめない。最下級生の仕事である朝当をしていると先輩方がやってくる。「集合5分前です」この時にはもうコートに賑わいを感じる。東大庭球部の練習はこうして始まります。

自己紹介が遅れ申し訳ありません。1年の北慎之介と申します。私は文学部の推薦生として東大に入学したのですが、推薦生で運動会に入る人はあまり見かけません。学問を極めるために推薦入試を受けたのだから。それでも自分はこうして部活でテニスをしていることを幸せに思っていますし、正解だったと思います。私にとって東大は遠い宇宙のような存在でした。が、入試の帰りに練習を外からこっそり覗いた時、そして新歓に参加した時、東大庭球部に対して、大宇宙の中に小宇宙が存在するような無限の照応を思いました。自分が東大と繋がれる場所はここだと感じたのです。ありがたいことに、1年生ながらレギュラーに入らせていただき、色んな出会いや経験をさせて頂きました。まだまだ未熟な自分が東大庭球部を背負って試合に出ることは内心忸怩たる思いでいっぱいです。

自分はテニスを経験のスポーツだと思っています。場面ごとにどのような球種、コース、動き、スピード等を選択するのは練習での経験あるいは試合での経験によって判断されます。慣れないコートや相手に苦労するのは経験がないからです。先日の京大戦でも初めての遠征で、試合の入りに苦労しました。こうした時、中高の時から勉強してきた歴史学を思います。歴史学は実証主義に基づき、史料の記載から過去を理解し、現在の判断基準とする。重要なのは史料以上のものは取り入れないということです。試合とは1つの夢のような実質なき慌ただしい経験であるように思われますし、知性は実際以上の秩序と斉一性を事物のうちに想定するようにできているわけですが、練習でできたことの中から経験に基づいて判断していくことを心がけています。しかし、カッコイイプレーやオシャレなプレーをしたいという気持ちにもなります。野心的であるが故にプレーの複雑性を帯びてくる。こうした心の夾雑物と上手く折り合いをつけながら東大庭球部員として3部昇格を目指して行きたいと思います。

歴史とは2000年以上にわたって独自の歩みを遂げてきた国家と国民の壮大な叙事詩といえます。大先輩方が紡いできた東大庭球部という叙事詩の中で自分も1つの章となれるように4年間努力していく所存です。

以上です。失礼します。

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