寒さを忘れたみなさんへ〜川岡淳〜

テニスを外でやるには、ひどく寒い日。
外では常に首をすくめて歩きたくなってしまうような日。
どれだけコートを着込んでいたって、あたたかいカフェを見つけたら駆け込みたくなってしまう。あたたかい家に帰る足取りは自ずと早くなる。
そんなふうに欲していた“あたたかさ“のはずなのに、カフェや家に入って身震いをする瞬間、ぶるぶるってするその一瞬は、少しだけゾッとする。
人は、あたたかい場所に入ってはじめて、自分の感じていた寒さに怯えるものだ。あたたかいカフェは居心地の良い場所なはずなのだけれど、もう一度冷たい外に出た時、寒さで身体をぎゅっと丸めて、それが自分の本来の身体の形であるような気がして、むしろ外にいる時の方が安心感に包まれているような気さえする。

馴染みの店(になりかけている店)に入る時も似たような感覚だ。
紛れもなくそこは自分にとって“あたたかい“場所であるはずなのだけれど、扉を開けて「お、いらっしゃい」って言われるまでの間のその一瞬。「ここは本当に僕の居場所なのだろうか」と、お店の人の視線にどきっとするのだった。

春のあたたかさを迎え、寒さを忘れたみなさんへ。
一つの些末なフィクションを捧げます。

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目を覚ますと、船は島に漂着していた。
なぜ僕が船に乗っているのかも、覚えていない。覚えていることと言えば、昨晩激しい嵐にあって荒波に揉まれながら、難破寸前の船の上で転がり回っていたことぐらいだ。
その島は、絵に描いたような「南の島」という感じで、ヤシの木みたいな樹木が茂っていて、白い砂浜に青い海。昨日嵐の中で冷たい雨に打たれ波に揉まれていたのが嘘のようだった。
僕以外に人はいないらしかった。とりあえず島を探検しておこう、そう思って歩いてみた。見たところ恐ろしい獣もいないようだし、おいしそうな木の実もちらほらあるから、助けが来るまでしばらく飢えをしのぐことはできそうだ。

海岸近くまで戻ると、海の方から声が聞こえた。行ってみると、そこには人魚と呼ぶには美しくもないけれど、半人半魚の生物が群れになっていて、泳いだり戯れたりしながら海の中の小魚を貪り食っていた。
試しに話しかけてみると、見慣れない人の姿にびっくりしたようではあったが、すぐに僕のことを歓迎してくれた。その半人半魚の生き物たちは小魚が大好物で、ひたすら小魚を追いかけ回して食っているだけで幸せらしい。バカみたいだと思ったけれど、救助が来るまでどうせやることもない。せっかくだから、一緒に泳いでみることにした。

しばらく一緒に泳ぎまわって、小魚を捕まえてかじったりしていると、自分の体にも、ヒレのようなしっぽのようなものが付いているのに気づいた。いつからだろうか。さすがに生まれた時から実は付いていたなんてことはないだろうが、この島に来てから生えてきたとは思えないほど、我ながら上手に使いこなして泳ぎまわっていたのだった。

日が暮れてきたので、一度船に戻ることにした。船の部屋の中はまだ湿っていて、ベッドも濡れていてひんやりしている。外は暖かいのに、部屋はじめっとしていて、1人でいるとちょっぴり寂しくなる。なんとなく心細い気持ちのまま、冷たいベッドの上で眠りについた。

朝になって目を覚ますと、昨日のことが夢だったように感じた。あんな生き物が本当にいたわけないじゃないか。外に出ると、海には昨日と変わらず、半人半魚の生物がたくさん泳いでいた。
「お、今日も一緒に泳ぐのか?」
誘ってもらったと捉えていいのかわからないけれど、あいも変わらず他にやることもないし、昨日は結構楽しかったから、今日も一緒に小魚を貪り食うことにした。
気づいたら自分も夢中になって小魚を追っかけ回していた。あっという間に夜になって、冷たい部屋に戻って寝て、また朝になったら泳いで、戻って寝て、を繰り返していた。

島に来てから、1ヶ月ほど経っただろうか。いつものように船に戻って、ふと物置部屋を見てみると、使える状態の燃料がたくさん残っていることに気づいた。工具もあるから、船の壊れた部分も修理できる。島で集めれば、長い航海をしのげるだけの食糧も手に入れることができるだろう。
なんだ、帰れるじゃないか。こんな島でよくもわからない生き物たちと一緒に泳ぎまわっている必要なんてもうない。さっさと準備を整えて出発しよう。
けれど、島に残っていたいと思う自分もいた。まあ、もう少しだけ一緒に小魚を貪るのも悪くない。いや、悪くないというより、そうしていたい。水の中を自由自在に泳ぎまわって小魚を捕まえるのは楽しかったし、何よりこの生き物たちと一緒にいるのが楽しかった。小魚を捕まえるのが上手なやつはかっこよくて、憧れを感じてさえもいた。
一方で、夜に船の部屋で一人でいると、このまま海には戻らずに、島を離れた方がいいのではないかと思うのだった。国のみんなにも会いたいし、国に帰れば仕事もあるのだ。燃料の量を計算して、どのぐらい航海を続けることができるのか確かめたりした。
それでもやはり朝になれば、海に戻ってあの生き物たちと時間を共にしたいと思うのだった。

そんな毎日を続けて、島に来てから、2年以上が過ぎた。今でも夜は一人だ。もうずっと島にいてもいいかもしれない。僕にもしっぽがあるから、僕も半人半魚のやつらと同じ生き物なのかもしれない。そんなことはどうでもいい。
やつらはずっとここにはいないかもしれない。ある朝いつものように目覚めたら、やつらは遠いどこかの海に行っていて、もう一緒に泳ぐことはできないのかもしれない。それでもいいと思った。それでも、またどこかでやつらに会った時、今のように笑い合いながら、ちょっとばかり一緒に小魚をかじったりしたいのだ。そう思わせてくれるやつらなのだ。

僕はやつら程、小魚を貪るのが大好きではない、かもしれない。それでも、島から離れる気にはならないのだ。

やつらがこの海を離れるまで、一緒にいるんだ。そう決めた。
泳ぐのにちょっと疲れる時もあるけれど、それはきっと、お互い様だから。
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人は、温もりを求める生き物だ。寒さを感じる時は、自分に温もりが欠けているのだと気づいた時だ。自分が実は凍えているのだと自覚した時、身体の芯まで冷えきる。

そしてそれは、あたたかさに包まれている時こそなのだ。友達と盛り上がっている会話の途中で、自分が懸命にただ話を合わせていることに気づいた時。恋人と抱き合っていながら、自分の視線がただ空を泳いでいることに気づいた時。家族の中にいながらも、自分がどことない不安を抱えていることに気づいた時。
まるで、押し付けられた温もりが、心臓の中にある溶かせない氷の塊に触れてしまったみたい。ロックグラスにウイスキーを注いで、氷がキッと鳴るように、胸が締め付けられるのだ。

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