ラスト サムライ〜小島達矢〜

こんにちは。庭球部3年の小島です。

新歓の時期ということで、「僕が庭球部に入った理由」や「東大庭球部紹介」といった内容を書こうとしていたのですが、上手く書けないまま放置していました。気がついた時には期限を3週間以上過ぎていました。時の流れの速さには驚くばかりです。さすがに広報担当の足立君を怒らせてしまい、「アレ」をされそうになったため、今必死の思いで書いております。

呻吟したものの、結局新歓らしい良い題材を思いつけなかったので、僕は庭球部の「人」や「部の雰囲気」について思っていることを書いてみようと思います。散漫な文章となってしまうかもしれませんが、少しでも部の雰囲気が伝われば幸いです。

庭球部には個性豊かな人が多く、出身地からテニス歴、また趣味嗜好に至るまでかなり多様です。しかし、そんな多様な部員たちの中で、「皆が共通して好きなもの・概念」もいくつかあります。例えば、刃牙、二郎の大全マシ、旧制高校、滝行などです(テニスは当たり前なので除外しました)。また、「友情・努力・勝利」という言葉も部員たちに愛されています。ちなみに、部内にはその辺の王道少年漫画よりはるかに「友情・努力・勝利」が溢れていて、日々味わうことができます。

ここでよく考えてみると、上に挙げたものや概念は全く別の領域に属していて、それら自体に共通点は見当たりません。二郎はラーメンであり、滝行は修行の一形態です。では、一体なぜ庭球部員たちはこれらのもの、概念を共通して好むのでしょうか。

僕は、部員間に通底するある性質がこれらをつないでいると思います。例えば、ゲートボールを好む人は演歌を好む可能性が高い、という統計があったとします。本来スポーツの一種と音楽の一ジャンルは全くもって無関係のはずですが、「どちらも高齢者が好みがち」という補助線を引くと納得できます。これと同様に、庭球部部員間にはある共通した性質があり、その性質が上にあげたものや概念と高い親和性を持つのです。そして、その性質こそが「侍の心性」だろうと思います。

庭球部には侍的メンタリティを持った人が多数います。ふと今、部員の名前を数人思い浮かべてみましたが、全員侍でした。もちろん、令和の世なので、全員が古風な恰好や古風な振舞いをしているわけではありません。むしろ部員の殆どが大学生らしい現代的な恰好・振る舞いをしています。しかし、そんな部員たちの心の中には侍がいるのです。

部員の多くが侍だと分かる点をいくつか考えてみます。ここまでの展開の強引さに首を傾げている方も、読み終わる頃には庭球部員=侍理論に深く賛同されている筈です。

庭球部侍ポイント(侍ポ)の1つ目として、やはり文武両道を追求する姿勢が挙げられます。学部学科等で基本的にどの部員も努力していますし、テニスでの努力は言うまでもありません。確かに、学年や単位が降りている/落ちている部員も幾人かいますが、それは本人が常に高みを目指して研鑽を積み続けた結果、学年や単位の方が相対的に落下してしまった結果だと捉えられます。全部員が自分なりの目標を決め、不断に努力しています。そうした部の努力の雰囲気は大変に美しいものです。

侍ポの2つ目として、いい意味でのプライドを持っていることが挙げられます。プライドがなければ向上はないと言われます。一方で変なプライドがあっても成長には害でしょう。庭球部には、「良いプライド」を持った人が多数います。対外試合・セレク(部内戦のことです)等で負けた際、悔しさを噛み締めながらも己のどこが至らなかったのか勝者から話を聞き、反省をまとめる部員の姿はよく見られます。どんな競技でも、練習→進歩→実戦→反省・収穫→練習…のサイクルを回していく際、上手くいかなかった悔しさ・己の至らなさを痛感し反省することが競技者を成長させると言われていますが、まさに庭球部はそれが自然と行われている環境です。向上のためのプライドを持った侍ばかりです。

刃牙の中で、「誰しも一度は最強を夢見るが、成長過程における様々なことによって皆その夢を諦めて行く」というようなことが述べられています。しかし、庭球部には未だに”最強”になることを諦めていない漢たちが多数所属しています。部員間での切磋琢磨が止まることはありません。

侍ポの3つ目として、常に自分に妥協しない姿勢が挙げられます。僕が1年生の夏休み練で見た、今でも印象に残っている出来事があります。確か8月の昼練での出来事だったのですが、その日は凄まじい暑さでした。加えて、僕らは受験とコロナによる部活停止期間の影響で(僕らの代はコロナのため夏休み前後に入部しました)、肉体が鈍っており、実際僕は頭が朦朧としていました。そんな中、球拾いの時間が来ました。1年の僕らは皆キツそうに拾っていたのですが、そんな中4年の先輩方は軽やかかつとんでもない速度でボールを拾っていました。まずそこで衝撃を受けました。球拾いが終わり、練習が佳境に入っても、先輩方は開始直後と同じ声量、いやそれ以上に声を出して雰囲気を盛り上げていました。僕はその時先輩方の姿にとても美しさを感じました。

練習以外の場面でも、常に気を抜かず努力し続ける先輩の姿を見るたび、いつも「下級生である僕がこんなことではいけない」と目が覚める気分になっていました。あっという間に僕らの代も3年生になってしまいましたが、常に初心を忘れず、歴代の先輩方の姿を追っていきたいです。これはトレーニングでも同様です。自分に妥協せず、また惰性的に追い込むのでもなく、常に向上心を持ち頭を使って努力していきます。

先ほどから「侍」の話をしてきました。これは男子部の”漢”たちに当てはまるというだけではありません。女子部にも侍の精神を持った部員が多いです。女子部が練習・フリコ等で日々努力をしている姿を見ると、僕らも負けてられないな、頑張ろうという気持ちになります。男子部と女子部が場を共有して練習を行う最大のメリットはこうした向上心の相互作用にあるのでしょう。

ここまで様々なあることないことを書き連ねてきました。ここに書かれたことのどこまでが本当で、どこからが嘘か、実際に入部してみると分かると思います。僕はかなりの脳筋文章を書きましたが、東大庭球部自体はとても合理的な組織として知られています。読んでくれた新入生(そして新入生になる予定の受験生)が少しでも庭球部のアツさに興味を持ってくれることを祈りつつ、僕はコートで日々精進したいと思います。

以上です。失礼します。

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